五味ちゃん先生の診療日誌

患者さんが毎日を明るく、楽しく過ごせる一助になりたいと願っています

2016年02月20日(土)

江戸の五色不動について [鍼医から]

【五色不動尊】

鍼灸師目線で山手線の路線図をみると、素朴な疑問が起こります。
「目白」「目黒」かあ…陰(黒)と陽(白)だな、五行論の五色は「白、黒、赤、青、黄」だから、目赤、目青、目黄もあるんじゃないかな…
調べると、やっぱりありました。以下は史実ではなく、伝説です。(Wikiなどから引用)
 
→五色不動は江戸五色不動とも呼ばれており、江戸幕府3代将軍・徳川家光が大僧正・天海の建言により江戸府内から5箇所の不動尊を選び、結界をはり、天下太平を祈願したことに由来するなどの伝説が存在する。史跡案内など多くの文献ではこのような説話に倣った由来が記述されているが、資料によっては伝説の内容にばらつきも見られる。 一方で五色不動を歴史的に研究したいくつかの報告によると、実際に「五色不動」という名称が登場するのは明治末または大正始めであり、江戸時代の史実とは考えにくいとしているが、伝説自体は江戸時代から伝わる噂話に原型が見られるという。また名称を別とすれば個々の寺院や不動像自体は江戸時代(以前)からの歴史を持つとされる。なお五色不動は基本的に天台宗や真言宗の系統の寺院にあり、密教という点で共通しているが、不動明王に限らず明王は元来密教の仏像である。

不動明王は、密教ではその中心仏とされる大日如来が悪を断じ、衆生を教化するため、外には憤怒の形相、内には大慈悲心を有する民衆救済の具現者として現われたとされています。また、宇宙のすべての現象は、地、水、火、風、空の五つからなるとする宇宙観があり、これらを色彩で表現したものが五色といわれます。不動尊信仰は密教が盛んになった平安時代初期の頃から広まり、不動尊を身体ないしは目の色で描き分けることは、平安時代すでに存在したといわれています。

【五色不動の場所】
•目黒不動 - 瀧泉寺(東京都目黒区下目黒)

•目白不動 - 金乗院(東京都豊島区高田) 江戸時代は現在の文京区関口江戸川公園付近にあった新義真言宗新長谷寺の本尊

•目赤不動 - 南谷寺(東京都文京区本駒込)

•目青不動 - 教学院(東京都世田谷区太子堂) 本来の寺名は平井の目黄と同じ最勝寺

•目黄不動 - 永久寺(東京都台東区三ノ輪)
•目黄不動 - 最勝寺(東京都江戸川区平井)


文化5年(1808年)の『柳樽四十六篇』では、「五色には 二色足らぬ 不動の目」 という川柳が残されている。三不動「目黒、目白、目赤」しか知られていなかった一方で、前述の「五色」に見立てる発想の存在が確認できる。

※MAPで場所を見ると、何か気づきませんか?
江戸城を中心に配置されています。
江戸には五街道(これも五行ですが)が存在しています。
江戸の町つくりについては時間ある時に、ぼちぼち書いていきます。

自然堂が板橋にあるのも意味があるんですよ。

画像(320x245)・拡大画像(674x517)

五色不動の配置図

Posted by 五味哲也 at 14時08分   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

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